与えることってなに?

今日はいい天気だFARMおたまです。
今日で11日坊主に突入しました、このブログ。

僕の気分次第で内容が
濃くも薄くもなりますが笑

今日もお付き合いくださぁい

先日、見に行った
吉本のコンビ
アップダウンさんの音楽劇の影響なのか
最近、知覧や特攻隊のことばかり話をしてます。

ひさしぶりに、知覧のある鹿児島に行った写真を
振り返ってみようとファイルを探していると
めっちゃいい写真が出てきました

いいなぁ。この写真。
この写真は、知覧特攻隊の
基地から出撃して行った若者たちが
飛行機から見る最後の本土の山
開聞岳の麓にある場所です

あっちゃんが撮ってくれました。

そんな鹿児島県知覧の基地にある
平和記念館にはじめて行ったのは

もう、14年前。
僕が、音楽に挫折して、
ニートになりフリーターしてた頃

行くつもりもなかったのに
なぜか辿り着いて吸い込まれるように入って
気がつくとおいおい泣いていて

僕はそこから東京へいき
平和運動家の方に
弟子入りすることになるんですが

その時にね、
特攻隊のみなさんに約束したことが
いくつかありました

それは

「未来に希望が持てる若者を連れてくること」

「自分の家族を連れてくること」

「胸を張って生きてる姿を見せにくること」

です。

その3年後、僕はまず、
仲間を連れていきました

2008年に
北海道でニート引きこもりが集まって
農業をしていて、
僕は現場リーダーだったこともあって

農シーズンが終わってから
秋になるとママチャリに乗り
北海道から沖縄を目指しました

1年目の2008年は
鑑別所上がりのヤンキー18歳と
チャラチャラしてた脱サラ30歳と僕
この3人で、今では、景色が一変した
三陸をママチャリで走り
北海道から東京銀座まで10日間で駆け抜け

2年目の2009年末〜2010年は
東京から沖縄まで1ヶ月で
ニート、引きこもり君たちと
ママチャリに乗っていきました

そんな仲間と共に
九州では行く先々でお世話になり
最後は鹿児島県庁前でテレビ局が
追いかけてきてて
なぜか県庁内で記者会見をしてた僕たち

そのメンバーと
九州でお世話になった方々と
知覧へ帰りました

みんな元気かーーーー!!

そして、2013年頭に
あっちゃんと生後半年の長女を連れて
知覧へと帰りました。。。

僕がね、もしも、
1945年終戦間近に
知覧に集い、沖縄の空に飛び立った
結婚もしていない若者だったとするならば

約60年後に
現代社会に馴染めず悩みきった
23歳の男が迷い込んできたら

ほっておきません

そんな男がさ。
数年後、仲間引き連れて
元気よく帰ってきたら喜びます

そしてまた数年後
子供と素敵な奥さん連れてきたら
嬉しすぎて、嬉しすぎて、
応援したくなります

僕と特攻隊の御霊との関係は
そんな風に繋がっています

ありがとうございます!

最後に
お世話になった方にもらった言葉を
お届けしたいと思います

「自分がしてもらって嬉しいことを
 まず自分から相手にしてあげなさい」


ただ、
その人は答えを教えてくれなかった
僕は勘違いして先に出せば
返ってくるからって思ってしまった

そこからは自分で
経験するしかなかった

見返りを求めまくった結果
たくさん文句も出ました

何も返ってこねー!!って
自己犠牲に人を喜ばせてて
自分が嫌いになったこともある

だけど、少し経験積み出して、
何となくですが

実は、僕が一番やりたいことって
人に喜んでもらえるか考えてる時間や
それを伝えてる時間やんかって
思い始めた

つまり、相手にしてあげてる
その行為が僕にとっての幸せでした

そこには与えるとかもらうとか
そんな分ける壁はなく

ただ、喜びみたいな
エネルギーがあるだけ
それしか存在してなかった

オンラインでもオフラインでも
目の前に人がいてもいなくても
そうなれたら、嬉しい。

僕は、今もそこを目指してます

そろそろ知覧へまた行こう。

胸を張って生きる姿を見せに行くことが
できる日が近いかもしれない。。。

今日も下まで読んでくれてありがとうございます!

愛やでーーーー

おたま